ジョーカーとパラサイト観てきたよ

流行りの映画だね、ジョーカーとパラサイト。

今日はその2作品について個人的な見解を書いていきたい。個人の見解なので、異論は認めるし、これが正解だとも思っていないということを最初に書いた上で進める。

ジョーカーはアカデミー主演男優賞を獲得したホアキン・フェニックスが演じるジョーカーの生い立ちを描いたもの。

パラサイトは韓国の社会問題を描いたもので、アカデミー作品賞を獲得した。

伝えたいことは似ていてアメリカと韓国の違いこそあるけれど、両方とも富裕層と貧困層の暮らしの差を描いたものだ。

そう、この2つの映画はたぶん同じようなことを伝えようとしている映画なのだ。にも関わらずジョーカーを観ると不愉快になり、パラサイトを観ると感慨深いと思える。なぜだろう。

ジョーカーを観終わった時、僕は本当に怒っていた。そしてこの映画は不愉快だと言ったのを覚えている。それから10分くらい興奮状態の中ジョーカーを叩き続けた。なんだこの映画は。不愉快すぎる。どんなことを考えながら脚本を書いて映画を撮影したのか。ホアキン・フェニックスは何を思って演じたのか。貧困層の問題を取り上げるのは構わないがもっと他にやり方があっただろう。そんなことをずっと思っていた。あんまり僕は映画を観た後感情的になるような人間じゃないし、ましてやこんなに激しく映画を不快だなんて思った事は人生で一度もない。自分でもそんな風に思う事にびっくりした。

逆にパラサイトは見応えがある映画だったし観る価値がある映画だとすごく思った。終わり方も個人的には好きだった。この作品がアカデミー賞を獲るのは納得できるし当然だとすら思った(他のノミネート作品を観てもないのにだ笑)。まぁ韓国の富裕層にあたる人たちでこれを観て不快に思う人もいると思ったけど笑

僕が気になるのはテーマが同じ映画にも関わらず、観た後の感想にこれ程にも差があるのはなんでなのかという事だ。

その理由は物語のエンディングにあると現状の僕は思っている。

ジョーカーは貧困層の象徴としてジョーカーが支持されて殺人をも認めてしまうような人たちがいる。それにジョーカーはさらに感化され自分を正当化していく。視聴者にジョーカー誕生をひけらかしているというようなエンディングだった。

それに対してパラサイトは貧困層の代表である家族が裁判で判決を受けた後、貧困層から抜け出すことを決意するが、そう簡単には行かないのだろうなと視聴者に思わせるようなエンディングだった。

つまりなんというか。視聴者にこの富裕層と貧困層の社会問題をどのように伝えるかのところで違いが出ていて、ジョーカーは若干過激に、パラサイトは同情を誘うような伝え方をしている、そしてジョーカーの過激な伝え方に僕は嫌悪感を覚えたのだと思う。

今考えるとあそこまで僕を興奮状態にさせたジョーカーは評価されるべき作品でホアキン・フェニックスは評価されるべき演技をしたんだと思う。逆にパラサイトは物足りなさを感じる人もいるのかもしれない。僕以外の視聴者がどのように思うのかわからないけども、2つの作品が素晴らしい作品であることは間違いない。そうでなければこんなに熱心に1300文字も文章を書くことはないのだろうから。