言葉のあそび

今日は僕のおじいちゃんの口癖について書こうと思う。

僕のおじいちゃんはよく僕に色々な話をしてくれる。おばあちゃんとは簿記学校で出会っただとか、日本酒を飲むときはチェイサーを隣に置いておきなさい、とか。

おじいちゃんは同じ話を何度もする。チャイサーの話は一緒に飲む度にする笑

そんなおじいちゃんがよくする話の一つに『言葉のあそび』というのがある。

『言葉のあそび』。それが何なのか、実はまだ僕は完全に理解しきれていない。なぜなら色々なシチュエーションで『言葉のあそび』という単語が出てくるからだ。たとえばこの前一緒に飲んだ時にも出てきた。その飲みには年配の方が結構いて僕は一人若かった。そこでどういう流れだったか梨の話題になった。「幸水がうまい」「いやいや、豊水の方がおいしいよ」 僕は梨の種類の話なんて周りの友人と話したこともないし、知らなかったから話題に入れなかった。それを見たおじいちゃんが言った。「いやぁこういう話はね、なかなか分からないかもしれない。けどな、こういうのは時代と共に引き継がれていくんだよ。知らなくても単語を聞いておくだけでどっかで話せるだろ?うちのじいちゃんは梨で幸水が好きらしいんだけど、幸水がなにか分からなくてさぁって。そしたらそこから話題も広がるだろ。これもさぁ『言葉のあそび』なんだよな」

別の時にも『言葉のあそび』は出現する。「いいか、口で言うことは簡単だ。けど、言ったからにはそれ相応の事を求められるし発言に責任をもたたなくてはいけない。これも『言葉のあそび』だな。」ともいつだったか言われた。

現状での僕の『言葉のあそび』の認識は「言葉には力がある」というものだ。

それは良い意味でも悪い意味でも力となる。梨の話から会話が弾めばそれは人を結びつける力になる。深い意味がなくても発言して人を傷つけてしまえばそれは暴力になる。何か目標を言葉にするとそれは自分を鼓舞する力になり、目標を達成した人間には説得力が生まれる。文字の羅列を口に出す事で魔法をかけられたかのようにその文字列は意味を成し力を持つ。だからこそ言葉を使うときはそれなりに意識する事が大切なのかなと思う。

いつか本当に『言葉のあぞび』の意味が分かるときがいいと思っている。そんな僕もブログを書きながら『言葉のあそび』をしているのかもわからない。